第九交響曲の和訳&歌詞の意味!合唱パートの解釈は?〈ベートーヴェン作曲, 歓喜に寄す〉
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第九交響曲の和訳&対訳!合唱パートの解釈は?歌詞の意味も解説!〈ベートーヴェン作曲, 歓喜に寄す〉
Herzlich Willkommen!! どうも、はじめまして!声楽家のとらよし(@moritora810)です!私は普段演奏活動をしたり歌のレッスンをしたりしています。ドイツにも1年半程勉強に行っていました。演奏ではドイツリートや宗教曲が最も得意とするところです。さて、自己紹介はこの辺にして今回の記事ではベートーヴェンの第九交響曲の詩について取り扱いたいと思います!
大晦日にNHKのEテレで第九が放送されるのも関係があるかと思いますが、日本では年末になると第九が頻繁に演奏されますよね。合唱で参加する方も多いと思います。
私はこれまでにソリストも含めて10回以上歌っていますが、改めてこの歌詞を解釈しながらこの詩について理解を深めていきたいと思います!是非、演奏のときに作詩家のシラー、そして作曲家のベートーヴェンがなぜこの詩を使ったのかを考えながら歌ってみてください!きっとまた違った世界が見えるはずです!
第九交響曲の歌詞対訳と解釈&解説
今回、第九交響曲の歌詞をいくつかのまとまり(基本的には段落)ごとに読んでいきたいと思います。また訳については出来るだけ直訳的に訳してきます。また今回は詩の構成というよりは、実際に歌っていくときの歌詞の並びを優先しています。
第四楽章のバリトンソロで歌われるここまでの詩はシラーの詩ではなく、ベートーヴェンの作詩です。当時、作曲家が詩を作ったりテキストを入れ替えたりすることは割と一般的で、音楽に使いやすい詩だったり言葉だったりを選んで作曲をするということがありました。
「この調べではない!」の「この」というのは、これまでの楽章でのメロディーのことだと言われています。というのも、第四楽章の冒頭で第一楽章~三楽章のメロディーが反復された後にこの詩が歌われるからです。それからあの最も有名なメロディー(歓喜の歌)が提示されます。
ここで注目したいのは3行目の「Tochter」という単語です。「Tochter」はドイツ語で「娘」という意味で現在も使われています。しかし、こういった宗教的な意味合いが強い詩で「Tochter」は「聖母マリアの象徴」の意味になることが多いです。
なぜ「Tochter」がマリアを意味するかと言うと、ドイツ語のTochter(娘)はまだ成人していない女性(処女)のことを指します。そしてキリスト教によると、聖母マリアは処女のままキリストを産んだということになっているので、ここではTochterがそういった解釈になり得ます。
更に、「聖母マリア」は「愛の象徴」ですから、ここの「Tochter aus Elysium」は、比喩的に「天国からの愛、愛情」という意味です。この詩の部分は、合唱パートで特に後半のsub.Pの部分で素晴らしい瞬間を演出しますね!是非、天からの愛を感じてください!
ここでいう、「あなた」は「神様」のことです。というのも、J.Bachの曲で代表されるように、ドイツ語で神への呼びかけは親しみを込めて「Du」の敬称で呼ばれます。(※ドイツ語では目上の人に「Sie」親しい間柄で「Du」が使われます。)
また、ここの詩では、「時代が切り離したもの」を結び合わせた結果⇒「全ての人々が兄弟になる」という表現になっています。この切り離す前の状態というのが、旧約聖書時代で描かれている、全員が同じ場所で、同じ言語で話して生活していたような時代(バベルの塔)を指している可能性もありますが、そこまでは定かではありません。
しかし、ここで重要な時代背景として理解しておきたいのは、ベートーヴェンの時代は「社会における孤独」が表面化した時代でした。ではその前の時代はどうだったのかと言えば、世界はいわゆる「階級社会」でした。つまり、貴族は貴族、平民は平民というように、それぞれがそれぞれの階級で共同体を形成していました。その集団そのものが個人のアイデンティティと結びついて、個人は常に共同体の一心同体でした。
しかし、1789年にフランス革命が起きるとそれ体制が崩れます。その結果、今も現代に残っている「孤独」という問題が社会に生じます。社会に馴染めない人、社会不適合者にとってこの問題は非常に深刻でした。それは他社とのコミュニケーションが苦手であったベートーヴェンも同様です。
そして、この第九の詩で繰り返し歌われ、最もメッセージ性が強いのが「Alle Menschen werden Brüder/全ての人々が兄弟になる」という一文です。なぜベートーヴェンがこの詩に対して何度も音を付けていたのか。その裏にはベートーヴェン自身が抱えていた「孤独」というテーマを内包しているのではないかと考えざるを得ません。
ここでは色々な人物が登場しています。
- 大いなる仕事に成功した人
- 優しき女性を得た人
- ただ一つの魂しかこの地上で自分のものと呼べない人
ここで重要なのは一番最後の人物です。自分の魂しか自分のものと呼べない人は「孤独」なのです。ここでの代名詞「es/それ」は、「歓喜に声を合わせる」ということです。その前の「優しき女性を得た」ということは重要ではなくて、「歓喜に同調する」ということが重要で、「歓喜に同調出来ない人」⇒「泣きながら立ち去る」というようになっています。
ここで注目ワードは、「薔薇の道」です。結論を言うと、これは「愛の道」のことです。また、薔薇の道は言い換えると「いばら(とげがある)の道」を指します。もし道が薔薇で引き詰められていて、そこを歩くと怪我をして血が流れます。薔薇が西洋において愛の象徴であるのは血の色だからです。
聖書の解釈では、「イエスキリストは、愛ゆえに、我々人類の罪を許すため血を流した(死んだ)。」とされています。そのため血は愛を表し、血を意味する薔薇も愛を表現するのです。つまり、全ての人間は愛の道を辿るのだということを歌っています。
口づけは愛情の表現です。またワインも血を表現していますが、この場合は「血液(生命)」の感じの方が強いです。というのも、最後の晩餐でキリストがワインを「私の血です、飲みなさい」と述べるからですね。なので自然が口付けとワインを与えたというのは、「世界(神)は愛と生命を与えた」という意味合いが強いと思います。
「死の試練」は我々の宿命である、「死」そのもののことでしょう。また、「死の試練を受けた一人の友を与えた」という表現になっていますが、この「友」は自分自身のことかもしれません。そう考えると、自分という人間がこの世界に産み落とされたということを意味しているのかもしれません。なぜ「友」を「自分」とダブらせるのかと言えば、「全人類が兄弟になる」という意味の本意は、「他人と自分を重ねる」ということ。「他人と自分を同一化すること」が含まれているように思われるからです。それはアドラーで言うところの「共同体感覚」です。人が人に愛情を与えたりするには、相手を自分だと思う感覚がなければ難しいからです。
「彼の太陽」の「彼」は、天使ケルビムのことを指しています。ケルビムは生命の木や契約の箱などを警護しており、翼をもった人間・ライオンなどの形で示されます。光輝くイメージですね。
現在、世界の人口は70億人ですが、例えば1802年には10億人しかいませんでした。そう考えれば、もちろん百万の人々というのは今の感覚よりも多くの人間を表します。
キスは先ほど同様に愛情の表現、しかも自分から他者へ与える愛の表現です。そのあとに出て来る単語の「Sternenzelt」は、「Sternen/星々」と「Zelt/テント」を合わせた言葉です。空を天幕に見立てた優雅な表現ですね。
「muss」は「müssen」という助動詞で「~しなければならない」という意味ですが強い推量も表します。ここでは「~に違いない!」という意味です。
ここで使われている「niederstürzen」という動詞は、急にひざまずくという時に使われる表現です。また、膝から崩れ落ちる・落下するといった意味もあります。ではどういったときそういったことが起こるのかと言えば、人は何かに気づいたとき、悟ったとき、自分ではどうしようもないことが起きた時、圧倒的な存在を目の当たりにしたとき、そういったことが起こりえます。ここでは個人が神の力を信じるかどうかが問われており、神の力や神の愛で世界を(人と人を)結び付けようとしているのです。
個人的にですが、ベートーヴェンの第九で最も美しい美しいシーンのひとつが、916小節目のアウフタクトからはじまる「Tochter aus Elysium」のMaestosoです。この意味は最初に述べたように、「天(神)からの愛」を歌っています。このシーンを世界の愛を感じて歌うことができればまさにZauber(魔法)のような演奏になると思います。
ベートーヴェンがなぜこの詩を選んだのか
先ほどからベートーヴェンが「孤独」を抱えていたと紹介しました。ほんの少しだけベートーヴェンの生涯について考えてみましょう。彼は生涯独身でした。しかし、それを望んでいたかというとそうではありません。
彼の生涯を知るのに重要な資料として、1812年「不滅の恋人」宛に書かれた3通の手紙が残されています。相手はアントニエ・ブレンターノという女性だと言われていますが、そこには彼の求婚とその拒絶が書き示されています。彼はこの頃、難聴による危機や「ハイリゲンシュタットの遺書」で見られる危機的状況を乗り越えたあとで、社会的な評価や名声を獲得していた時期でした。
そんな中、彼が求めていたものは親しい人間との関係や愛情、もっと具体的には結婚だったのです。この時期に声楽曲では有名な連作歌曲集「遥かなる恋人に寄す」という作品が生まれているのも興味深いです。
その後、1815年には弟のカールが死去しました。彼の妻と一人息子が残されますが、ベートーヴェンは甥っ子の教育権を強く望み、その権利を獲得します。結局、彼は生涯に渡って人間との深い繋がりを求めていくのです。
現代社会がかかえる孤独
孤独の問題は現代社会が抱える深刻な社会問題です。また欧米での研究結果によると「孤独」は伝染すると言われています。孤独感を持った人が多いコミュニティ(研究では大学や会社など)は、孤独感を持つ割合が高くなると言われています。
孤独であることは自由気ままに生活できること、自分で多くの事柄を決定できるという側面がありますが、一方で健康寿命を縮めたりするということもあるようです。「孤独死」に代表されるように、若いうちはさほど問題ではないかもしれませんが、年をとってからの孤独は本当に大きな問題であるように感じます。
つまり尚更に、私たちは人とのつながりや絆というものを大切にしていかなければいけないとだと思います。
合唱の素晴らしさ
もしかするとあなたは近々第九を歌うかもしれません。歌や音楽、合唱の良い所は「誰かとアンサンブルをすること」です。誰かと共に歌うことはまさにこの「孤独」から脱する最も素敵な解決方法のひとつです。そして質の高い、良い音楽の為には、「周りへの気配り」が必要です。
今自分が旋律を歌っているのか、あるいはハモリを歌っているのか、隣のパートとのバランスはどうか、合唱が重要なのか、オーケストラが重要なのか、歌に限らず音楽や人間関係で大切なことのひとつはバランス感覚であると思います。
それが音楽をするということ、あるいはアンサンブルをするということです。自分だけ良い声が出ればよいという問題ではありません。それはむしろ「孤独」な状態です。良い音楽の為に必要なことは、他者に心を開くということ。そしてそれは音楽に・自分自身に心を開くということです。そして欲を言えば、あなたの耳が外に向かって開かれていればそれほど素敵なことはありません。
もしあなたがこの曲を歌うのであれば、是非そういったことに挑戦してみてください。きっとただ歌うだけではない、また違った感覚が芽生えるはずです。それはきっとベートーヴェンが求めていた歓喜の感情、そして歓喜の歌です。
※最後に、ベートーヴェンについて勉強したい方はロマンロランの書いた「ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)」がオススメです。また第九交響曲については同じくロマンロランの「第九交響曲」が有名です。すでに絶版ですが、おそらく図書館などに行けば読むことができると思います。学部の頃に合唱の授業で知って読んでみたのですが、かなり興味深いです。オーケストラを座って聴いているときに沢山面白い発見ができると思います!
他にも色々本があるので探してみるのも良いかもしれません!
また、もし私個人に合唱指導やレクチャー、ソリストや合唱エキストラ等、お仕事のご依頼がある方は下記プラットフォームからお気軽にお問合せください!皆様と素敵な音楽を共有できればそれこそ私にとっての歓喜です!最後まで読んでいただきありがとうございました!それではまたお会いしましょう!
O, Freude!!