第九交響曲の和訳&歌詞の意味!合唱パートの解釈は?〈ベートーヴェン作曲, 歓喜に寄す〉

2019年12月9日

第九交響曲の和訳&対訳!合唱パートの解釈は?歌詞の意味も解説!〈ベートーヴェン作曲, 歓喜に寄す〉

Herzlich Willkommen!! どうも、はじめまして!声楽家の森善虎(もりよしとら@moritora810)です!私は普段演奏活動をしたり歌のレッスンをしたりしています。ドイツにも1年半程音楽留学をしていました。演奏ではドイツリートや宗教曲が最も得意とするところです。さて、自己紹介はこの辺にして今回の記事ではベートーヴェンの第九交響曲の詩について取り扱いたいと思います!

大晦日にNHKのEテレで第九が放送されるのも関係があるかと思いますが、日本では年末になると第九が頻繁に演奏されますよね。合唱で参加する方も多いと思います。

私はこれまでにソリストも含めて10回以上歌っていますが、改めてこの歌詞を解釈しながらこの詩について理解を深めていきたいと思います!是非、演奏のときに作詩家のシラー、そして作曲家のベートーヴェンがなぜこの詩を使ったのかを考えながら歌ってみてください!きっとまた違った世界が見えるはずです!

第九交響曲の歌詞対訳と解釈&解説

今回、第九交響曲の歌詞をいくつかのまとまり(基本的には段落)ごとに読んでいきたいと思います。また訳については出来るだけ直訳的に訳してきます。また今回は詩の構成というよりは、実際に歌っていくときの歌詞の並びを優先しています。


 
O Freunde, nicht diese Töne!/おお 友よ、この調べではない!
Sondern laßt uns angenehmere/そうではなく、我々をより快い、
anstimmen und freudenvollere./歓喜に満ちた調べに声を合わせよう。
 

第四楽章のバリトンソロで歌われるここまでの詩はシラーの詩ではなく、ベートーヴェンの作詩です。当時、作曲家が詩を作ったりテキストを入れ替えたりすることは割と一般的で、音楽に使いやすい詩だったり言葉だったりを選んで作曲をするということがありました。

「この調べではない!」の「この」というのは、これまでの楽章でのメロディーのことだと言われています。というのも、第四楽章の冒頭で第一楽章~三楽章のメロディーが反復された後にこの詩が歌われるからです。それからあの最も有名なメロディー(歓喜の歌)が提示されます。


Freude! Freude!/歓喜よ!喜びよ!
Freude, schöner Götterfunken,/歓喜よ、美しい、神々の火花よ、
Tochter aus Elysium,/楽園からの乙女よ
Wir betreten feuertrunken,/私たちは火を飲んで足を踏み入れる、
Himmlische, dein Heiligthum!/神々の、あなたの聖なるところに!
 

ここで注目したいのは3行目の「Tochter」という単語です。「Tochter」はドイツ語で「娘」という意味で現在もごく一般的に使われています。しかし、こういった宗教的な意味合いが強い詩での「Tochter」は聖母マリアの象徴の意味になることが多いです。

なぜ「Tochter」がマリアを意味するかと言うと、ドイツ語のTochter(娘)はまだ成人していない女性(処女)のことを指します。そしてキリスト教によると、聖母マリアは処女のままキリストを産んだということになっているので、「Tochter=聖母マリアの象徴」といった解釈になり得るということです。

更に、「聖母マリア」は「愛の象徴」ですから、ここの「Tochter aus Elysium」は、比喩的に「天国からの愛、愛情」という意味です。この詩の部分は、合唱パートで特に後半のsub.Pの部分で素晴らしい瞬間を演出しますね!天から、世界からの愛を感じながら歌うと最高だと思います!


Deine Zauber binden wieder/あなたの魔力が再び結び合わせる、
Was die Mode streng geteilt;/時代が厳しく切り離したものを、
Alle Menschen werden Brüder,/全ての人々は兄弟になる、
Wo dein sanfter Flügel weilt./あなたの柔らかい翼が留まるところで。
 

ここでいう、「あなた」「神様」のことです。というのも、J.S.Bachの曲で代表されるように、ドイツ語で神への呼びかけは親しみを込めてDuの敬称で呼ばれます。(※ドイツ語では目上の人に「Sie」親しい間柄で「Du」が使われます。)

また、ここの詩では、「時代が切り離したもの」を結び合わせた結果⇒「全ての人々が兄弟になる」という表現になっています。この切り離す前の状態というのが、旧約聖書時代で描かれている、全員が同じ場所で、同じ言語で話して生活していた時代(バベルの塔)を指している可能性もありますが、そこまでは定かではありません。

しかし、ここで重要な時代背景として理解しておきたいのは、ベートーヴェンの時代は「社会における孤独」が表面化した時代でした。ではその前の時代はどうだったのかと言えば、世界はいわゆる「階級社会」でした。つまり、貴族は貴族、平民は平民というように、それぞれがそれぞれの階級で共同体を形成していました。その集団そのものが個人のアイデンティティと結びついて、個人は常に共同体の一心同体でした。そのため孤独感というは少なかったと思います。

しかし、1789年にフランス革命が起きるとそれ体制が崩れます。その結果、今も現代に残っている「社会における孤独」という問題が生じます。社会に馴染めない人、合わない人、社会不適合者と言われるような人にとってこの問題は非常に深刻でした。それは気難しく、他者とのコミュニケーションが苦手であったと言われるベートーヴェンも同様です。

そして、この第九の詩で繰り返し歌われ、最もメッセージ性が強いのが「Alle Menschen werden Brüder/全ての人々が兄弟になる」という一文です。なぜベートーヴェンがこの詩に対して何度も音を付けていたのか。その裏にはベートーヴェン自身が抱えていた孤独というテーマを内包しているのではないかと考えざるを得ません。


Wem der große Wurf gelungen,/大いなる仕事に成功した人は、
Eines Freundes Freund zu sein;/一人の友の友となり、
Wer ein holdes Weib errungen,/優しき女性を得た人は、
Mische seinen Jubel ein!/彼の歓喜の声に合わせよ!
 
Ja, wer auch nur eine Seele/そうだ、ただ一つの魂しか、
Sein nennt auf dem Erdenrund!/この地上で自分のものと呼ぶことができない人も!
Und wer’s nie gekonnt, der stehle/そして、それが出来なかった人は
Weinend sich aus diesem Bund!/泣きながらこの集いから立ち去れ!
 

ここでは色々な人物が登場しています。

  • 大いなる仕事に成功した人
  • 優しき女性を得た人
  • ただ一つの魂(自分の魂)しかこの地上で自分のものと呼べない人

ここで重要なのは一番最後の人物です。自分の魂しか自分のものと呼べない人は孤独なのです。ここでの代名詞「es/それ」は、「歓喜に声を合わせる」ということです。その前の「優しき女性を得た」ということは重要ではなくて、「歓喜に同調する」ということが重要で、「歓喜に同調出来ない人」「泣きながら立ち去る」というようになっています。

ちなみに第九の合唱では「Ja!!」からバスパートが先に出ます。これは音楽におけるキャラクター性も関係していると言われています。それは「ソプラノ=若い女性、アルト=年老いた女性、テノール=若い男性、バス=年老いた男性」というようなものです。実際がそうであるかは別として、音楽の中で各声部はそのようにキャラクター分けをされています。

そのため、ここで男性のバスパートが先に出るのは、最初に年老いた男性が同調する⇒みんなもそれに同調していく、というストーリーになっているとも考えられます。とくに時代背景的に年老いた男性は最も権力があったので、彼らが主導したものは社会全体を巻き込めるからです。


Freude trinken alle Wesen/あらゆるものは歓喜を飲み、
An den Brüsten der Natur;/自然の乳房から、
Alle Guten, alle Bösen/すべての善人も、すべての悪人も
Folgen ihrer Rosenspur./薔薇の道をたどる。
 

ここでの注目ワードは、「薔薇の道」です。結論を言うと、これは「愛の道」のことです。また、薔薇の道は言い換えると「いばら(とげがある)の道」を指します。もし道が薔薇で引き詰められていて、そこを歩くと怪我をして血が流れます。薔薇が西洋において愛の象徴であるのは血の色だからです。

聖書の解釈では、「イエスキリストは、愛ゆえに、我々人類の罪を許すため血を流した(死んだ)。」とされています。マタイ受難曲にもこの詩を題材にした美しいアリアがありますね。そのため、宗教的な意味合いの強い詩や音楽の中では、血は愛を表し、血を意味する薔薇も愛を表現するのです。つまり、ここでは全ての人間は薔薇の道をたどる、つまり愛の道をたどるのだということを歌っています。


Küsse gab sie uns und Reben,/自然は私たちに口づけとワイン、
Einen Freund, geprüft im Tod;/死の試練を受けた一人の友を与えた。
Wollust ward dem Wurm gegeben,/虫けらにも快楽が与えられ、
Und der Cherub steht vor Gott./天使ケルビムが神の前に立つ。
 

口づけは愛情の表現です。またワインもを表現していますが、この場合は「血液(生命)」の感じの方が強いです。というのも、キリストは最後の晩餐でワインを「私の血です、飲みなさい」と述べるからですね。なので自然が口付けとワインを与えたというのは、「世界(神)は愛と生命を与えた」という意味合いが強いと思います。

「死の試練」は我々の宿命である、「死」そのもののことでしょう。また、「死の試練を受けた一人の友を与えた」という表現になっていますが、この「友」は自分自身のことかもしれません。そう考えると、自分という人間がこの世界に産み落とされたということを意味しているとも考えられます。

なぜ「友」を「自分」とダブらせるのかと言えば、「全人類が兄弟になる」という意味の本質的な意味は、「他人と自分を重ねる」ということ。「他人と自分を同一化すること」が含まれているように思われるからです。それはアドラーで言うところの「共同体感覚」です。人が人に愛情を与えたりするには、相手を自分だと思う感覚がなければ難しいからです。


Froh, wie seine Sonnen fliegen/喜ばしく、彼の太陽が飛翔するように、
Durch des Himmels prächt’gen Plan,/その大空の壮麗な平地を通って、
Laufet, Brüder, eure Bahn,/走れ、友よ、君たちの道を
Freudig, wie ein Held zum Siegen./喜んで、勝利へ向かう英雄のように。
 

「彼の太陽」の「彼」は、天使ケルビムのことを指しています。ケルビムは生命の木や契約の箱などを警護しており、翼をもった人間・ライオンなどの形で示されます。光輝くイメージですね。

次の詩、「君たちの道を走っていけ!」というのはなんかカッコいいですね。それが「勝利へ向かう英雄(ヒーロー)のように」というのも素敵です。

 
Seid umschlungen, Millionen!/抱きあえ、百万の人々よ!
Diesen Kuß der ganzen Welt!/このキスを世界に!
Brüder, überm Sternenzelt/兄弟よ!星空の上には
Muß ein lieber Vater wohnen./愛する父なる神が住んでいるに違いない。
 

現在、世界の人口は70億人ですが、例えば1802年には10億人しかいませんでした。そう考えれば、もちろん百万の人々というのは今の感覚よりも多くの人間を表します。

このパートの音楽的解釈を述べると、ここは男性合唱のユニゾンです。これはつまり、グレゴリオ聖歌が基になっていると考えられます。非常に宗教的な色合いが強いパートです。

キスは先ほど同様に愛情の表現、しかも自分から他者へ与える愛の表現です。そのあとに出て来る単語の「Sternenzelt」は、「Sternen/星々」と「Zelt/テント」を合わせた言葉です。空を天幕に見立てた優雅な表現ですね。

「muss」は「müssen(英:must)」という助動詞で「~しなければならない」という意味ですが、強い推量も表します。ここでは「~に違いない!」という意味になります。


Ihr stürzt nieder, Millionen?/君たちはひれ伏すか、百万の人々よ?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?/あなたは創造主を予感するか、世界よ?
Such’ ihn überm Sternenzelt!/星空の上に彼(創造主,神)を求めよ!
Über Sternen muß er wohnen./星々の上には彼(神)が住んでいるに違いない。
 

ここで使われている分離動詞の「niederstürzen」という動詞は、急にひざまずくという時に使われる表現です。また、膝から崩れ落ちる・落下するといった意味もあります。

ではどういったときそういったことが起こるのかと言えば、人は何かに気づいたとき、悟ったとき、自分ではどうしようもないことが起きた時、圧倒的な存在を目の当たりにしたとき、そういったことが起こりえます。ここでは個人が神の力を信じるかどうかが問われており、神の力や神の愛で世界を(人と人を)結び付けようとしているのです。


Seid umschlungen, Millionen!/抱きあえ、百万の人々よ!
Diesen Kuß der ganzen Welt!/このキスを世界に!
Brüder, überm Sternenzelt/兄弟よ!星空の上には
Muß ein lieber Vater wohnen./愛する父なる神が住んでいるに違いない。
 
Seid umschlungen,/抱きあえ、百万の人々よ!
Diesen Kuß der ganzen Welt!/このキスを世界に!
Freude, schöner Götterfunken/歓喜よ、美しい、神々の火花よ、
Tochter aus Elysium,/楽園からの乙女よ
Freude, schöner Götterfunken, /歓喜よ、美しい、神々の火花よ、
 

Seidはsein動詞の命令形です。もちろん、抱き合うというのは身体的な意味ではなく、精神的に繋がるという意味を持っています。キスを世界にというのは、自分の愛情を他者に、世界に、という意味ですね!

個人的にですが、ベートーヴェンの第九で最も美しい美しいシーンのひとつが、916小節目のアウフタクトからはじまる「Tochter aus Elysium」のMaestosoです。この意味は最初に述べたように、「天(神)からの愛」を歌っています。このシーンを世界の愛を感じて歌うことができればまさにZauber(魔法)のような演奏になると思います。

ベートーヴェンがなぜこの詩を選んだのか

先ほどからベートーヴェンが孤独を抱えていたと紹介しました。ほんの少しだけベートーヴェンの生涯について考えてみましょう。彼は生涯独身でした。しかし、それを望んでいたかというとそうではありません。

彼の生涯を知るのに重要な資料として、1812年「不滅の恋人」宛に書かれた3通の手紙が残されています。相手はアントニエ・ブレンターノという女性だと言われていますが、そこには彼の求婚とその拒絶が書き示されています。彼はこの頃、難聴による危機や「ハイリゲンシュタットの遺書」で見られる危機的状況を乗り越えたあとで、社会的な評価や名声を獲得していた時期でした。

そんな中、彼が求めていたものは親しい人間との関係や愛情、もっと具体的には結婚だったのです。この時期に声楽曲では有名な連作歌曲集「遥かなる恋人に寄す」という作品が生まれているのも興味深いです。

その後、1815年には弟のカールが死去しました。彼の妻と一人息子が残されますが、ベートーヴェンは甥っ子の教育権を強く望み、その権利を獲得します。結局、彼は生涯に渡って人間との深い繋がりを求めていくのです。

現代社会がかかえる孤独

孤独の問題は現代社会が抱える深刻な社会問題です。また欧米での研究結果によると「孤独」は伝染すると言われています。孤独感を持った人が多いコミュニティ(研究では大学や会社など)は、孤独感を持つ割合が高くなると言われています。

孤独であることは自由気ままに生活できること、自分で多くの事柄を決定できるという側面がありますが、一方で健康寿命を縮めたりするということもあるようです。「孤独死」に代表されるように、若いうちはさほど問題ではないかもしれませんが、年をとってからの孤独は本当に大きな問題であるように感じます。

つまり尚更に、私たちは人とのつながりや絆というものを大切にしていかなければいけないとだと思います。

合唱の素晴らしさ

もしかするとあなたは近々第九を歌うかもしれません。歌や音楽、合唱の良い所は「誰かとアンサンブルをすること」です。誰かと共に歌うことはまさにこの「孤独」から脱する最も素敵な解決方法のひとつです。そして質の高い、良い音楽の為には、「周りへの気配り」が必要です。

今自分が旋律を歌っているのか、あるいはハモリを歌っているのか、隣のパートとのバランスはどうか、合唱が重要なのか、オーケストラが重要なのか、歌に限らず音楽や人間関係で大切なことのひとつはバランス感覚であると思います。

それが音楽をするということ、あるいはアンサンブルをするということです。自分だけ良い声が出ればよいという問題ではありません。それはむしろ「孤独」な状態です。良い音楽の為に必要なことは、他者に心を開くということ。そしてそれは音楽に・自分自身に心を開くということです。そして欲を言えば、あなたの耳が外に向かって開かれていればそれほど素敵なことはありません。

もしあなたがこの曲を歌うのであれば、是非そういったことに挑戦してみてください。きっとただ歌うだけではない、また違った感覚が芽生えるはずです。それはきっとベートーヴェンが求めていた歓喜の感情、そして歓喜の歌です。

※ベートーヴェンについて更に深く勉強したい方はロマンロランの書いた「ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)」がオススメです。また第九交響曲については同じくロマンロランの「第九交響曲」が有名です。すでに絶版ですが、おそらく図書館などに行けば読むことができると思います。学部の頃に合唱の授業で知って読んでみたのですが、かなり興味深いです。オーケストラを座って聴いているときに沢山面白い発見ができると思います!他にも第九関係はかなり本が出版されているので、図書館などで借りてみるのがおススメです!

最後に、もし私に個人レッスンや合唱指導、合唱団全体への詩のレクチャー、ソリストや合唱エキストラ等、お仕事のご依頼がある場合は、下記プラットフォームからお気軽にお問合せください!特に合唱で第九をされるのであれば、こういった座学的な時間をもうけるのはとても大事なことです。歌は総合的に学んでいくことでより深く、楽しく、自分の財産になっていきます。

皆様と素敵な音楽を共有できればそれこそ私にとっての歓喜です!最後まで読んでいただきありがとうございました!それではまたお会いしましょう!

O, Freude!!

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