愛の勧め〈人生の中心に愛を持って生きる〉自己愛

2019年12月9日

愛の勧め〈人生の中心に愛を持って生きる〉自己愛

どうも、声楽家&ボイストレーナー、そしてブロガーのとらよし(@moritora810)です。今日は私がここ数年で人生の中心に据えている「愛」についてのお話をしたいと思います。簡単に言うとそれを皆さんにもお勧めしたいですし、愛を持って生きると心がとても楽になりますよというところを強調して話したいと思います。

結論的に言うと、愛を持って生きると具体的に次のようなことが起きます。

  • 生きるのが楽になる
  • お金に困らなくなる
  • パートナーが出来る
  • 心穏やかになる

このあたりは一部ですが、実際にこういうことが起きます。ではなぜそうなるのか、具体的に見て行きましょう!

愛を持って生きるのは決意・決定である

私が愛について指南書の一冊としている本が、エーリヒフロムが書いた「愛するということ」という本です。この本では愛するということはひとつの技術で、その技術を身に付けて人格を成熟させていきましょうということが書いてあります。

その技術における最も重要なポイントは「愛することは決定・決意である」というところです。愛するということは、自然発生的に起こるものでありません。もちろん、美しい風景や子どもが遊んでるのを見て「愛おしい」と感じることもありますが、それを愛するかどうかはあなたの決定です。

つまり、ここで述べたいことはもし愛のある人生を送りたいと思うのであれば、あなはその決定を下さなければいけないということです。そう決心した瞬間にあなたは愛の人になります。なぜなら「そう決定したから」です。人間は思った通りに生きることができると同時に、思った通りにしか生きることができません。どの選択をするかは、何を求めるのかとも関係しますが、是非この愛の勧めを参考にしてみてください。

愛すると言うことは自分を認めること

私が人間の最も大きな病の原因のひとつであると思うのが、自分で自分を責めるという現象です。私たち人間は「社会」というフィールドで生きるにあたりこの機能を手に入れました。これは自己を向上させたり、失敗を繰り返さないために、もしかするとプラスに働くかもしれません。

しかし、現状を見ている限りこの機能は非常に人間に実害を及ぼしているように感じます。例えば、ブラック労働でその環境に身を置く人を例に考えて見ましょう。彼らは、物理的にその場所を離れればその環境から抜け出せることを論理的に理解しています。しかしそれでもその場所に居続けてしまうのは、彼らが自分のことを「自分はこの程度の人間だ」とか「自分が能力が低いだけだ」とか、何かしらのそういった理由付けを行い、その場所に留まろうとします。そしてそれは自分の身体から発せられているであろう様々なシグナル(体調の悪さや以後心地の悪さ、心理的なストレス)を無視してその場所に居続けた結果、最後の逃避行動として最悪の行動に走ってしまうということが起きます。

この話が自分で自分を責めることとどう関係があるのかと思う方もいると思いますが、自分のやりたくないことをすることや、自分がやりたいことをしないことは自分で自分を責めるということと同じ意味です。簡単に述べると、やりたくないことをするのは人間にとって最もストレスです。逆に、本当はやりたいことができないのもストレスです。自分で自分にストレスを与えるのは自分を責めているということですし、自分を愛していないことだと私は思います。

ここまで来ると話がつかめて来ると思いますが、「愛」を中心に据えるまず第一歩は「自分を愛する」ということが必要になります。「自己愛」と言うと、ナルシスト的な自己中心的な愛情だと思う人もいるかもしれませんが、ここでの自己愛は「自分を大切にする」という側面が強いと思います。自分のしたいことをしたり、やりたいこと、心の声をきちんと聴いて、自分のことを認める、自分自身を愛することが非常に大切です。

もし自分を正しく愛することができれば、自分で自分にストレスを与えるということがなくなっていくでしょう。それは少しずつでも良いのです。いきなり全てを変えることは出来ません。少しずつ、自分のしたくないことを減らして、自分のしたいことを増やしていけば良いのです。もし「そんなの無理だ!」と思っている人がいれば、それは自分が望んで、選択してそういう状況にしているということなのです。

あなたの中にある純粋で、シンプルな声を聴いてください。現代人の問題は耳が塞がっていることです。周りの音をよく聞くのは音楽の基本です。自分の心と、そして世界と上手く調和すれば最高のハーモニーが生まれれますよ!

お金に困らなくなる?豊かさに目を向けるということ

あなたはこの瞬間からお金に困らなくなれます。それは一体どういうことなのでしょうか?

それを説明するために少しキリスト教を例に出したいと思います。私はキリスト教徒ではないのですが、音楽を勉強していく中でキリスト教や聖書を勉強しました。

そのなかでよく例に出す人物の一人がマザーテレサです。彼女はもちろん有名なのでご存知の方が多いと思いますが、彼女は修道女として「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを貫いた人です。

彼女について、経済的な観点から見ればこの記事を読める全ての人よりも貧しいと言えるかもしれません。しかし、彼女は愛情を持って生き、多くの人から愛された人間であろうと思います。それは彼女が豊かであったからです。それはもちろん、精神的な心の豊さであるのは言うまでもありません。

「なんだそんなことか」と思えばそれまでですが、これが本当の意味で豊かであるということなのです。結論的に述べると、本当に豊かであるということは今ある豊かさに目を向けられるかどうかということです。それにたいして、過去や未来に対して「欠乏」の観点を抱いている人は、お金がいくらあっても貧しい人間です。「昔はこんなに稼いでいた」とか、「もっと良い車が欲しい、良い家に住みたい」「もっと稼ぎたい」「まだ足りないまだ足りない」という状況は簡単に言うと欠乏症です。

それにたいして、今ある豊かさに目を向けられと、人間は非常に幸福感を持って生きることが出来ます。今この瞬間にある豊かさにあなたはどのくらい気づいているでしょうか?その範囲は何も経済的なことや周りの物質的なものに限らず、自分の肉体や精神が存在しているということの豊さも含んでいます。「財布に10円しかない!」と考えるか「財布に10円もある!」と考えられるかはあなたの豊かさ次第です。

人間関係が良くなる

これは例えばパートナーが出来たりすることもあるかもしれませんが、基本的に先ほどお話したように、今ある豊かさに目を向ければ、自分の関係している人たちがいることについて感謝の気持ちが生まれると思います。それは家族や兄弟、友人や恋人との絆のことです。

愛するということのコツの1つは「今この瞬間の豊かさに目を向けること」です。過去を後悔したり、未来に不安を持っている状態では幸福感は得られません。今のこの瞬間を楽しんだり、感謝したりできるかどうか、そう思える・感じられること自体が心の豊かさであり、愛への道であると私は思います。

そしてこれは最初の話とも関係しますが、愛の道へ進むと決めたその瞬間から人間関係も少しづつ整理されていきます。

例えばいつも怒ってる人には会わないようにしようとか、あの人に会うと嫌な気持ちになるから距離を置こうとか、逆にあの人と一緒にいると元気になれるとか、つまり、自分を大切に思えると感じる人(その人と会うとき自分が好きになる人)と会おうと思うようになるからです。それはストレスがない人間関係でありながら、最高の循環の中にいると言えるでしょう。

もちろん、それは理想的な状態ですが、目指さなければたどり着けません。人間関係で悩んでいる方は、自分にとって大切な人との時間をもっと大切にして、そうでない人とは距離を置くように調整していきましょう。きっと素敵な流れが出来るはずです。

まとめ

「愛の勧め」のまず最初に実行して欲しいことは、より内観的に、自分を見つめて自分のしたいことをできるだけしていくことです。もし現実との乖離がある場合には、それを紙に書きだすなどして可視化して、嫌なことを少しづつ減らし、代わりにやりたいことを少しづつ増やしていきましょう。

愛を自分の核にして生きていくことはとても心地よいものです。また自分でも納得出来ることです。いずれ自分の嫌いな人、合わない人のことを考えることすらなくなっていきます。マザーテレサの言うように、私たちには憎んだり、小言を言う暇はないのです。愛する時間がなくなってしまいますからね!

最後まで読んでくださってありがとうございました!愛の世界は確かに存在します。それは自己決定的に行くことの出来る世界です。お勧めですよ!それではまた!

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