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劣等感を力にするアドラー心理学【考え方で自分を変える】

劣等感を力にするアドラー心理学【考え方で自分を変える】

Willkommen!! どうも、Torayoshi(@moritora810)です。今日はフロイト、ユングと並ぶ心理学の三大巨頭であるアドラーの心理学について。

心理学と言ってますが、もっと実践的なものです。その内容は、どうやって考えればより良い人生に近づくかということがテーマだと思っています。そのための考え方を授けてくれるアドラー心理学。少しづつ紐解いていきましょう。

アドラーが書いた「人生の意味の心理学」にはびっくりするようなアイディアが詰め込まれています。今回はNHKで放送された「100分で名著」に沿って書き進めていきます。

アドラー1870年のオーストリア生まれ。家は裕福なユダヤ人の家庭でした。しかし幼い頃に「くる病」というビタミンD欠乏系の病気に悩まされます。それによって体の自由が効かなかったアドラーは健康な兄に劣等感を持って育ちます。

その後、勉強に励み内科医としてウィーンで開業しました。偶然ですが、その病院は有名な遊園地がある地区でした。やがて大道芸人や軽業師が患者として病院へやってくることとなります。

そしてそんな中、体を商売道具としている彼らの殆どが、幼い頃に体が弱かったということを知ります。そこから彼は「ハンディキャップを補おうとする力」つまり「劣等感」の持つ力や作用について考えるようになるのです。

そして彼は精神科医への道を進み、一時期はフロイトとも協同で研究を行います。まもなく第一次世界大戦が勃発。軍医として、戦士が再び戦場に復帰できるのかどうかを判断する任務につきます。そんな中で彼は独自の心理学を身につけていきます。

人間のパーソナリティの基礎は何なのか。

アドラーの先輩であるフロイトは、人間のパーソナリティの基礎・中心はリビドーと呼ばれる性的欲動であると考えます。ちなみにユングはすべての本能エネルギーのことをリビドーと呼びました。

簡単にフロイトの主張を述べると、意識的に自己決定していると思われるものであっても、人間は「無意識の力」によって影響を受け、決定づけられていると言うわけです。

しかしアドラーはここに代わるものとして劣等感を持ち出しました。つまり、アドラー心理学では劣等感が人間のパーソナリティの基礎になっていると考えるわけです。

更に、ともに第一次世界大戦を経験したフロイトとアドラーでは考え方が異なります。戦争を経験したフロイトは「なぜ人間は戦うのか?」という命題から「人間には攻撃欲求がある」と考えます。

それに対してアドラーは「戦わないためになにをすべきか?」という命題から、「戦うのは本来の姿ではなく人間は仲間である」という理想を掲げます。

世界が複雑なのではなく、自分が世界を複雑にしている

アドラーの心理学では、「人間は誰しも客観的な世界ではなく、それぞれの人が自ら意味付けした主観的な世界に住んでいる」と考えます。その理論から、人間はすぐにでも変わることが可能だと説きます。

そして重要な考え方が、「人間は過去の原因からではなく目的を考えべきだ」という主張です。原因にとらわれるのではなく、目的に向かって行動することで人間は変わることができると主張するのです。

また、アドラーの心理学では「トラウマ」というのものも否定しています。今の自分がうまくいかないのは過去にある経験や体験が原因であると捉えるのではなく、それは結局、我々が過去の経験にどのような意味を与えたかによって自分の人生を決定づけているだけだ考えるのです。

そういった過去を意味づけすることによって今の自分がいるという考え方を「原因論」と呼ぶわけですが、それに対してアドラー心理学では「目的論を説きます。

「自分がどうありたいか、どうなりたいか、」ということが自分を決定するんだという主張です。まとめると、将来は自分で決めていくことができるという話です。

ライフスタイル

アドラー心理学ではライフスタイルを重要視します。それは実生活で起きる物事について、どういった意味付け・解釈をするのかという問題です。それには三つのくくりがります。

  1. 自己概念(自分のことを自分がどう見ているか)
  2. 世界像(他者を含む世界の現状についてどう思っているか)
  3. 自己理想(自分および世界についてどんな理想を抱いているか)

一般的にはこれらのことは「性格」に置き換えて説明することができます。性格というと変えるのが難しいように感じますが、ここで説くライフスタイルというものについては、「いつでも、どのようにでも変えることが出来る」と説きます。そして人間は知らず知らずのうちに「変わらない決心をしている」とアドラーは説きます。

そしてこの決心は無意識のうちに行われていると彼は言っていますので、まず「ライフスタイルを意識化することが大切である」とアドラーは主張します。その上でどんならライフスタイルに変えていけばいいのかを考えていく必要があります。

もちろんそこには勇気が必要です。人間は変化を恐れる生き物です。アドラーは「人間は3日で変わることができる」「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである」と主張します。

自分を苦しめているものの正体

その正体は「劣等感」です。そして劣等感は誰もが持つものですから、それを消し去ることはできません。ですのでアドラーの心理学では劣等感とうまく付き合ってくことで自分を飛躍させることができると考えます。そしてそれは「優越性の追求」とも言われます。

この衝動によって人間は下から上へ、マイナスからプラスへ動こうとします。

そのときに表裏一体で現れるのが劣等感です。そしてこの歯車がうまく噛み合っていればいい成果を上げることができますが、時としてそれは人を苦しめる原因にもなるのです。他にもアドラーは「人間であるということは劣等感をもっているということ」だとも言っています。次に本当の劣等感とはなんなのかをアドラーはいくつかの例を出して解説しています。

劣等コンプレックス

他者との比較の中で生まれてくる劣等感をアドラーは否定します。そういう類いの劣等感の殆どは、「そういう自分であることを自分が望んで意味付けしている」と捉えるのです。

それはある意味で劣等感を利用して自分を納得させたり、ぬるま湯に浸って、無変化を望んでいる状態のことを指します。これはつまるところ「悪い劣等感」です。

そしてアドラーの言う劣等感とは「理想の自分と現在の自分とのギャップ=劣等感」であると主張します。あくまでも劣等感は、自分の中での問題として捉える必要があるのです。

劣等コンプレックスは、「〇〇であるから〇〇ができない。」「〇〇じゃないから〇〇ができない」と言う、「見せかけの因果律」(実際にそこに原因と結果の繋がりがないもの)を成立させることでそこで停滞しようとすることです。それを使って、自分の劣等性を強調して、本来向き合うべき課題から逃避しようとします。

優越コンプレックス

次に優越コンプレックスです。これは例えば、

  • 自分を実際よりも優れてみせようとする人」
  • 「過去の栄光にしがみついてそのことばかり話す人」
  • 「自分の手柄でもないのに自分の手柄のように話したがる人」
  • 「他者からどう見られているかを非常に気にする人」
  • 「自分で自分についての理想を高くしようとする人」
  • 「努力を怠っているのに自分に価値があると思い込みたい人」

のような人のことを指します。

この種類で「相手の価値を落として自分を相対的に高めようとする人」も存在し、これをアドラーは価値低減傾向と呼びました。いじめや差別も優劣コンプレックスの一種だとアドラーは言います。

また例えば、自分の不幸話ばかりする人は、劣等感を先鋭化することで得意な優劣性を得ようとしているとアドラーは言います。もう少し言い換えると、「自分のこの不幸な話は誰よりもすごい経験なんだよ」と言うことで、他者より優越であると意識するわけです。

これも優越コンプレックスであると言えます。正反対に見える劣等コンプレックスと優越コンプレックスは、実は相互に深い繋がりがあります。

等身大であればいい

それでは一体どうすればいいのでしょうか。アドラーの提案していることはシンプルです。「そのままの自分を認めよ。」自分を認めるには勇気が必要です。

自分を認め、人と競争をしないで、勝ち負けにこだわる人生ではなく、等身大の自分を肯定しなさいとアドラーは説きます。それによってコンプレックスから抜け出すことが出来るのです。そしていつでも戦うべきは理想とする自分であるということです。

対人関係を改善する

「究極的には我々の人生において対人関係以外の問題はないように見える。そして、それらの問題は我々が他者に関心を持っている時にだけ解決できるのである。」(byアドラー) アドラーは人間の悩みの全ては対人関係であると考えます。例えそれが死であっても、それは愛する人を失ったという対人関係からきているのだと説くのです。そして孤独ですら他人がいるからこそ生まれるものであると考えます。

承認欲求

人は誰かから認めて貰いたい、承認して貰いたい、褒められたい、期待に応えたいという欲求があります。マズローの欲求階層説でいうと社会的欲求の部分です。これは賞罰教育によって育った人間について、特に危険だと言うわけです。

例えば、人が見ているから良いことをする。何かを与えてくれたから与える。その結果、自分の行う行動の善悪判断が自分自身でできなくなるという状態が発生します。

また、承認欲求が強い人はギブ&テイクの考え方が強いのです。これはエーリッヒ・フローの「愛するということに」に出てくる話ではありますが、人生はギブ&ギブなんです。アドラーは「人間は自分自身の人生を描く画家である」とも言っています。他人の承認欲求に身を任せて他人に求められた人生を生きていては、自分の絵を描くことはできません。人生は自己責任で生きていくしかないのです。

課題は分離する

振っている雨を傘で防ぐことはできても、雨を止めることはできません。他人の感情や課題についても雨のようなもので、その雨を止めることはできません。もしその雨を無理矢理止めようとすると、当人に問題が発生した場合、その責任を他人に転嫁するという現象が生じます。

つまり、他人の課題については切り捨てる、切り離して考える必要があるということです。課題というのは、最終的にその結末が誰に降りかかるのかという問題です。しかしアドラーは他人との関係を絶てと言っている訳では無く、課題を分離すればより良い人間関係を構築できるのだと説いています。

幸福になるために

幸福に重要なのは「共同体感覚」であるとアドラー心理学では考えます。そしてそれこそが対人関係のゴールだとアドラーは言います。人間は個人としては弱く限界があるので、一人で自分の目標を達成することはできません。

人は弱さ、欠点、限界のために他者と結びついています。そして、自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは「共同体感覚」であるとアドラーは考えるのです。

共同体感覚とは、他者を仲間だと認識し、そこに自分の居場所を感じ、他者に対して貢献しようと思える・感じられる状態・感覚のことを指します。具体的には、感覚を自己への執着から他者への関心へと移行していくべきだと言います。そしてこの共同体感覚に必要なのは、

  1. 自己受容(劣等感や生まれついた自分自身をありのままを受け入れる感覚)
  2. 他者貢献(自分に価値があると感じるのは他者に貢献したときであるという感覚)
  3. 他者信頼(他者に貢献しようと思うときには他者を仲間だと認識する感覚)

つまりこの三つはセットで作用します。自分に価値があると感じることで他者にも貢献できて、信頼もできるというわけです。それではこの三つをうまく連携させるにはどうすればいいかというと、まず大前提として「他者との関係を横の関係で捉える」ということです。

上下の関係ではなく、横の繋がりで人と繋がる必要があります。人はいくつかの共同体に属していますから、ひとつの共同体(例えば所属する会社とか)に依存することをやめ、自分に素直に、自己受容をして共同体に属している必要があります。

また、嫌われる勇気と幸福になる勇気は同じで、もし自由に生きたいのであれば人に嫌われることも受け入れる必要があるのです。

心理学は新しい考え方を教えてくれるので面白いものだろうと思います。すべて信じる必要はないと思いますが、有効な考え方は採用してみてはどうでしょうか。

それではまた次回!Bis Bald~!!

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