愛とは何か?愛がない人はどうする?【愛を取り戻す方法】

2020年3月12日

愛とは何か?愛がない人はどうする?【愛を取り戻す方法】

どうも、こんにちは!声楽家&ブロガー&ボイストレーナーのとらよし(@moritora810)です。今回は愛とは何か?愛するというのはどいうことなのか?

また夫婦やパートナーシップで相手に愛がないと感じている方に向けての考え方をシェアしたいと思います!愛が何かを知りたい方や、愛するということがどいうことが知りたい方。また、相手に愛がないと悩んでいる方、パートナーに愛情を感じないと思っている夫婦やカップルの方がいたら是非参考にしてみてください!

愛がない人の特徴

まず最初に、今現在パートナーシップに悩みを抱えている人向けに話をしていきたいと思います。もし愛とは何かということを先に知りたい方は飛ばして読んでみてください!ただし、主体性について理解してくださいね!

さて、それでは愛がない人はどういう人でしょう?あるいは相手に愛情がないと感じるときはどんなときでしょうか?職場であればまた仕事として割り切れば耐えられるかもしれませんが、カップルや、ましては結婚した夫婦であればこれは深刻な問題です。具体的に、相手に愛がないと感じるときはこんなときではないでしょうか?

  • 相手のために準備したり、用意したもの(食事、洗濯、家事、買い物、贈り物など)に無関心(感謝の気持ちがない)
  • 相手への投げかけに対してレスポンスが返ってこない、あるいは遅い、反応がにぶい
  • 人の悪口ばかり言っている、愚痴をきかされる
  • 自分の話ばかりしてくる
  • 以前に話した予定や内容を忘れている
  • 2人のためにしていることなのに手伝わない

もしかするとあなたは相手のこんな行動に対して、なんて愛がないんだ!と感じているかもしれません。その結果として、もう相手に愛を感じない、愛がないと思っているかもしれません。それでは、これらを全て解決する方法はあるのでしょうか…?あるいは愛があればこれらの問題はすべて解決されるのでしょうか…?

「愛があれば解決できる」と思うのは受動的な考え方

結論的に述べると、もしあなたが「愛があれば全て上手く行く」と思っているのであれば、根本的な考え方として上手くいきません。

「え!なんでやねん!愛がないからでしょう!」と思うかもしれませんが、ある条件を満たせば解決されるという考え方そのものを変えていかなければ、今後も同じようなことに悩まされることになるでしょう。

なぜなら、○○であれば解決されるという条件付き的な思考は、反応的で受動的な考え方だからです。それは責任を環境や相手のせいにしていることと同義です。

つまり、理論としては私に愛がないのは相手のこれまでの行動の結果だということになるわけですが、そこにあるのは自分が主体的に決めたのではなく、根本的に追及していくと相手に影響されてそうなったということを指し示しています。そこで、次のような考え方をしてみましょう。

主体性を持って考えるということ

愛を理解して実践していく上で主体性を持つということは切っても切り離せない考え方です。主体性を持つというのは、言い換えれば、受動的ではないこと、反応的ではないことを意味しています。

先ほどの例では、環境や相手から影響を受けて自分が愛を失ったと感じています。しかし、実践的な愛においては、それを決めるのは自分自身の決定によってなされます。つまり、愛を失ったのは自分がそうしたと考えるのが主体的な考え方です。

相手をコントロールすることは難しい

なぜ主体性が必要なのかと言えば、受動的な考え方をベースに思考をすすめると、相手をコントロールして愛を得ようとするからです。相手をコントロールしようとするのは、不確実性が伴いますし、大抵の場合上手く行きません。

それよりも考え方として、自分をコントロールする方が確実性があります。人の心は変えることはできませんが、自分の心は変えることができます。受動的な人、反応的な人は環境や相手から影響を受けますが、逆に主体的な人は周りに影響を与えることがでいます。まずは是非、主体的であることと反応的であることの違いを考えてみてください!

愛は動詞である

それではようやく愛とは何かの話をしていきましょう。そして先ほどまで説明をしていた主体性を持つことが、なぜ愛につながるのか解説していきたいと思います。これを理解するにはスティーブン・コヴィー氏が書いた「7つの習慣」に出て来る文章が素晴らしいのでみていきましょう。

あるセミナーで主体性について講義していた時、ある男性が前に出てきてこう言い出した。

「先生のおっしゃっていることはよく分かるんですが、人によって状況はすべて違うんですよ。例えば、私の結婚を考えていただけますか。不安でたまりません。妻と私は昔のような気持ちがもうないんです。私は妻を愛していないし、妻も私のことなんか愛していません。こんな状態で何ができるって言うんですか」

「愛する気持ちをもうしなってしまったんですね」と訊くと、

「そうです」と彼は答え、「子供が3人もいるので、とても不安なんです。どうしたらいいでしょうか」と続けた。

「奥さんを愛しなさい」と私は返事した。

「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないって」

「だから、彼女を愛しなさい」

「先生はわかっていない。愛という気持ちはもうないんです」

「だったら、奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちがないのだったら、それは奥さんを愛するとても良い理由になりますよ」

「でも、愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」

愛は動詞である。愛という気持ちは、愛という行動の結果にすぎない。だから奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕をしなさい。犠牲を払いなさい。彼女の話を聞いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。感謝を表しなさい。奥さんを肯定しなさい。そうしてみては、いかがですか」

世界中すべての偉大な文学において、「愛」は動詞として登場する。反応的な人は、愛を単なる気持ちとしてとらえがちである。なぜなら、反応的な人は感情や気持ちに支配されているからである。

(中略)

主体的な人にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。(中略)愛は行動によって具現化される価値観である。主体的な人は感情を価値観に服従させる人である。愛するという気持ちを失っているとすれば、それを取り返すことができるのだ。

スティーブン・コヴィー著作「7つの習慣」100~101ページより

この文章を読んで気づいたのであれば、もうそれを実践するのみです。この中で特に興味深いのは「愛は動詞である」というところになるでしょう。まとめると以下のようになります。

  • 愛は動詞である
  • 愛は具体的な行動である
  • 愛は行動によって具現化される価値観である

私たちは愛を名詞として捉えがちですが、実際に愛というものは行動によって形成されると述べられています。そしてここに付け加えられているのが主体性という価値観です。

愛というものが動詞である以上、相手に起因して愛を感じたり感じなかったりするのは、そもそもとして間違いです。それは愛されるという価値観であり、受動的だからです。愛はいつも「私」という主語が扱う動詞として考えねばなりません。愛を感じるのは私自身であり、愛を実践するのも私なのです。

愛するということ

もうひとつ愛とは何かということについて理解するのに役立つのが、エーリヒ・フロムという人が書いた「愛するということ」という哲学書です。この本もベストセラーの本ですが、まさに愛についての究極の一冊と言えるでしょう。

非常に簡潔に述べるとこの本の中で愛は以下のように述べられています。

  • 愛するということは決意である

ここにも同じように主体性や動詞としての愛が出て来ています。愛は恋とは異なり、自然発生的なものではなくて、理性的な自己決定の上でなされる行動だと説かれているのです。この本については詳しくは以下にまとめているので確認してみてください!

キリスト教的な愛について

最後にキリスト教的な愛についてもご紹介したいと思います。愛とは何かについて、キリスト教は隣人愛や自己犠牲の愛を述べています。

簡単に述べると、愛とは与えるものであること、またそれは見返りを求めずに行われると述べています。キリスト教の愛で重要な部分はまさに自己犠牲という概念なのですが、ここでもやはり愛というものが動詞として扱われています。

キリスト教の愛や隣人愛については次の記事でまとめているので参考にしてみてくださいね!

愛とは人間に必要不可欠なもの

今回の記事は愛とは何かというテーマでしたが、なぜ愛がこれほどまでに重要なのかと言えば、愛は人間にとって必要不可欠な要素だからです。例えどんなに物質的に満足できる生活を送っていたとしても、人間は愛が無ければそれを補おう行動を起こします。

それは何かへの依存であったり、破壊であったり、行動の形態は様々ですが、満たされない心は代わりを求めます。それはもちろん代わりの行動なので、その人の生活習慣でもあり、人生における生き方でもあります。

もし何か心が満たされないのであれば、今回の内容を参考に、愛の行動を通して、それを価値観に熟成させてみてください。愛を実践したときの達成感や満足感は他のもので穴埋めできないはずです。あなたと私に、そして世界に愛のある行動が溢れますように!それでは!

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