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幸福論と人間関係を音楽で思考する【バレンボイムの言葉から】

幸福論と人間関係を音楽で思考する【バレンボイムの言葉から】



Willkommen!! どうも、Torayoshi(@moritora810)です。今日はちょっと思考をアウトプットしたいと思います。幸福論は個人や人生の幸福、そこから派生して人生そのものへの考察や論究を行うことです。つまり簡単な話は、「幸せってなんなの?」という命題について考えることにあります。私がこれについて考えるようになったのは大学院生だったころです。

大学院時代のゼミの先生であるK先生は、「全ての学問は、それを通して人間を理解して、そこから幸福を追求するためにある」と考えている人でした。そして音楽は、古代ギリシャ・ローマ時代に生まれたセブンリベラルアーツ(自由七科:文法学・修辞学・論理学・算術・幾何・天文学・音楽)のひとつであって、基本的には学問なので、つまり私は、「音楽を通して人間を研究して幸福を探す」という命題をさずかったと言えます。


音楽を通して考える人間関係

私は同じ時期にダニエル・バレンボイムの著書でバレンボイム音楽論ー対話と共存のフーガーという衝撃的な読みました。その本の中には、

感性や情動は、理性とむすびついたとき、はじめて豊かなものとなる。その豊かさのなかで、音楽は私たちに過去と現在をつなげる術を教えてくれる。「それぞれの声部の主張を把握しながら複数の声部を同時に聞き取る能力」の重要性。他者の声を聞かずして自分の声は生きない。知性と感情と気質の均衡を養う音楽は、要するに他者を理解するための、最も基本的な手段となりうるのだ。バレンボイムの耳はその、人としての原音に向けられていたのである。

というようなことが書いてあります。つまり彼の主張によると、「音楽そのものが、人間を理解するための手段になる」ということです。私が本の中で一番感銘を受けたのは、「音楽はハーモニーである」というような部分。私はそれ以前に、古代ギリシャ時代においてピタゴラス学派が主張した「世界(宇宙)はハーモニーである」という言葉を知っていました。そこで色々なことがつながって来たわけです。

音楽でハーモニーというときには調和が取れていることの他に、和声(コード)を意味します。その和声の中には綺麗に響き合う音の組み合わせと、ぶつかる音の組み合わせがあるわけです。日本語でも人間関係が良くない人との関係を「不協和音がする」とか言ったりしますよね。それは音同士が主張しあって喧嘩している状態なわけです。しかしクラシック音楽の知識のある人なら分かると思いますが、バレンボイムの言うように、不協和音であっても、実は他の声部を聴きながら自分の音を出すことが出来ればめちゃくちゃ美しいハーモニーが生まれたりするんです。つまりそこから人間関係について考察することができます。

「それぞれの声部の主張を把握しながら複数の声部を同時に聞き取る能力」の重要性。他者の声を聞かずして自分の声は生きない。知性と感情と気質の均衡を養う音楽は、要するに他者を理解するための、最も基本的な手段となりうる

もっと実生活に置き換えて言えば、「自分が所属するコミュニティの中で色々な人の意見や主張を理解する能力は大事だよ。そしてそういう意見を聞きながら自分の意見(メロディ)も発信しようね。」みたいなことです。つまり、自分の存在を和声の中にいるひとつの音のような感覚でとらえるわけです。



音楽は基本的にはいつでもアンサンブルです。例えばピアニストはひとりで演奏していますが、音楽はというと右手と左手でアンサンブルしてますし、もう少し細かくいえば音楽(和音)の中でもどの音を主張させるか、どの音を控えめにするかといった部分でもアンサンブルをしています。

オーケストラは他の楽器とアンサンブルしますし、もちろん歌もそうです。重唱をするときには自分が主張するところと、そうでないところがあります。しかもなんと単旋律で、例えばアカペラで歌うときもそうなのではないかと思います。これは少し飛躍した考え方かもしれませんが、少し説明したいと思います。

まず音楽に「時間」という概念は欠かすことができません。絵画は時間が閉じ込められていますが、音楽は時間の経過とともにしか再現することができません。そして私の考えでは、「音楽は単旋律であっても、時間軸で考えていったときに、奏者は調和をはかろうとする」という主張です。普通、旋律がずっと同じ調子で歌われると言うことはまずありえません。それは不自然だからです。必ず様々な強弱や速度の変化があります。それは基本的に作曲家が指定しているのですが、もし有名な旋律をアカペラで歌おうとしたときも、歌手は調和を図ろうとします。

具体的には、声に感情をのせて強く主張するところもあれば、声を落として言葉を大事にしたりするところもあります。それは無意識に自分の中、そして聴衆とコミュニケーションを取っているわけです。それはおそらくアンサンブルに近いものがあります。音楽のバランスや調和を考え、聴衆の息を感じるわけです。そんなこんなで、コミュニケーション能力を育むというという点で音楽は最高のツールであると私は信じています。音楽はコミュニケーションであり調和なのです。


音楽から考える幸福論

そんな話を理解した上で幸福論に話を戻します。音楽では綺麗な和音が響いているとき、それぞれの音のバランスが取れていて、緊張がなくて美しい響きがします。しかし音楽はずっと緊張が無いままだと退屈です。ところどころに緊張が必要です。しかしながら、結局その緊張がずっと続く音楽は聴いていて疲れてしまいます。ではいったいどうすればいいのか・・・?

もちろん、もう話は簡単です。他の声部(意見)を聴けばいいのです。しかしここで注意したいのは、その音楽の(コミュニティの)構造を理解するということです。明らかに自分がメロディを奏でることができるときに引っ込んでいては元も子もありません。もしあなたがメロディ部分であるのにも関わらず主張ができなければ、他の声部はリズムや和声といった部分を前面にだして調和を図ろうとします。それは自然なことです。しかし美しいかどうかは別の問題です。ただもうひとつ主張したいのは、「メロディばっかりで人は感動しない」という点です。メロディは確かに際立って目立ちますが、音楽はそれだけでは感動したりしないんですよね。色々な要素(リズムとか和声とかメロディとか)が複雑に絡み合って押しよせてくるわけです。なので、メロディがあまりなくてもご安心ください。それは大切なことではないんです。

ということで、私は結論として、「調和(バランス)が取れていれば幸せな状態を生み出すことができる。」ということを音楽から考えています。それは先ほども述べたように、どの部分に所属しているかということではなくて、「音楽(コミュニティ内での人間関係)そのものが調和しているかどうか」「ハーモニーとして美しく響いているかどうか」という部分が大切であると考えています。当然、それは身近な人(家族や恋人、友人や同僚等)とのハーモニーが最も重要であることは言うまでもありません。

もし身近に不協和音があるときは相手の音を聴きつつ、自分の音も把握出来るようになってみてください。相手の音を変えるのは難しいかもしれませんが、自分の音は変えることもできます。それが必要かどうかの判断は難しいところですが、まずは身近なところからこつこつと。それではまた次回!!Bis Bald~!!



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