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ユダヤ人は天才?ベルリンで作曲家メンデルスゾーンのお墓へ!【音楽好きの観光穴場スポット】

ユダヤ人は天才?ベルリンで作曲家メンデルスゾーンのお墓へ!【音楽好きの観光穴場スポット】

Willkommen!! どうも、Torayoshi(@moritora810)です。今日は先日フェリックス・メンデルスゾーンのお墓を訪ねてきましたのでそのときのレポートです。

彼はユダヤ人の家系で迫害も経験しています。後にユダヤ教からキリスト教に改宗もするのですが、それは時代の流れから仕方のなかったという感じです。

ちなみにメンデルスゾーン (Mendelssohn) はユダヤ人の性でドイツ語的な意味は、「Sohn」が「息子」という意味で、「メンデルの息子」という意味です。なんか面白いですね。

というわけで、傑作的な曲を沢山残した天才・メンデルスゾーンですが、実は彼のお墓はベルリンにあるんです!!メンデルスゾーンは完全にクラシック音楽の作曲家です。

フェリックス・メンデルスゾーン

ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディJakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy)は、ドイツロマン派の作曲家、指揮者、ピアニスト、オルガニストで、1809年2月3日に生まれました。

祖父のモーゼスは哲学者、姉のファニーは作曲家という、すでに上の世代がそれらを職業としている状態で、メンデルスゾーンも幼いころから神童として、人並外れた、天才的な音楽の才能を示したといわれています。

作曲以外の業績で有名なのは、「バッハ音楽の復興」、「ライプツィヒ音楽院の設立」などがあります。また、当時から音楽界に影響力を与えていたひとりで、19世紀の音楽界の発展に寄与しました。

そしてもちろん、作曲家として「ヴァイオリン協奏曲」「夏の夜の夢」、「フィンガルの洞窟」、「無言歌集」などの傑作を生みだしています。

ユダヤ人で天才作曲家

ユダヤ人の家系であったメンデルスゾーン家は言われなき迫害を受けることが多く、それはキリスト教への改宗後もほとんど変わりませんでした。(※ここで少し説明を加えると、ユダヤ人はヨーロッパ社会で常に迫害の対象でした。ヒトラーはそれを利用したのです。)

しかし、そういった状況下にも関わらず、メンデルスゾーンの影響力はドイツ国内で極めて強く、終生ドイツ音楽界に影響を与え続けます。

彼の死後、ヒトラーの台頭など反ユダヤ主義的な運動から、一度は音楽への貢献は過小評価されたものの、今日での彼の業績は不動のものになっています。

私の感覚としては、メンデルスゾーンは天才的なイメージを受ける作曲家です。なんというか無駄がないというか、洗練されていて飽きがこない曲調だなぁといつも思います。

ヴァイオリン協奏曲なんかが一般には最も有名じゃないでしょうか??個人的にはいくつかのリートとデュエット、他にはオラトリオの「Pauls」なんかを勉強したことがあります。「真夏の夜の夢」も素敵な作品です。


イェルサレム墓地と新教会(Kirchhof Jerusalem und Neue Kirche)

さて、メンデルスゾーンのお墓は、ベルリンのU-6,7のMehringdammという駅が最寄のところにあります。ほとんどベルリンの真ん中らへんです。

出るとすぐにお墓らしき一帯があるのでそこのところです。入口から入ってどんどん進んでいくと、小さな教会のような建物が見えてきます。メンデルスゾーン一家の資料館です!

この資料館は無料で誰でも見ることができます。開館時間は、3~10月が9~19時間まで、11~2月が9~16時まで!!

日曜日に行って入れたのでおそらく休みはないと思われます。無人なので入り口横にあるボタンを押して中に入ります。その資料館からほんの少し歩くと、メンデルスゾーン一家のお墓があります。

メンデルスゾーン一家のお墓。

いやー、やはり感慨深いです。これはもう曲が思い浮かぶからでしょうか。私はオラトリオ〈パウルス〉の〈Gott sei mir gnädig〉(主よ、私を憐れみたまえ)が脳内再生されていました。

ちなみにシューマンのお墓を訪ねたときはずっと《詩人の恋》がリピートされていました。(関連:ベートーヴェン博物館とシューマンのお墓)


20歳でマタイ受難曲を指揮?

メンデルスゾーンは38歳という短い生涯を生きました。先ほど「バッハ音楽を復興した」とありますが、その中でも特出すべき出来事はやはり20歳の頃にJ.S.バッハのマタイ受難曲を再演したことでしょうか。Wikipediaによると、

  • 1829年(20歳) 3月11日、自らの監督により、「マタイ受難曲」の公開演奏を作曲者の死後初めて行う。会場はベルリン・ジングアカデミーのホールで、メンデルスゾーンはピアノで通奏低音を担当しながら指揮した。この日は、パガニーニのベルリンでの初リサイタルと重なっていたが、会場には入りきれない人が千人も出たと言う。公演は大成功で、更に10日後の3月21日(バッハの誕生日)に第2回の演奏会を行った。作品の素晴らしさを印象づける事を意図した為に大胆な削除も行い、テンポや強弱の変化を駆使している。演奏会場には、ベートーヴェンが第9交響曲を献呈した国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、思想家フリードリヒ・シュライアマハー、詩人ハイネ等がいた。

これはすごい!!!20歳でマタイ受難曲を指揮できるって本当に天才だったんだなぁ・・・。

26歳でライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者になるとか、34歳でライプチッヒ音楽大学を開校して、作曲とピアノの教授としてロベルト・シューマンを招聘したとか、なんか色々すごすぎる・・・。

他の逸話としては、第二次世界大戦中に1933年にナチスがユダヤ人音楽家の演奏を禁止する指令が配布されたにもかかわらず、それでもメンデルスゾーンの音楽は人気で1935年にはベルリンで彼のヴァイオリン協奏曲が録音されたそうです。

あと、ちなみにベルリンには地下鉄のU-2に「メンデルスゾーン・バルトルディ・パーク駅」があるのですが、そこになぜメンデルスゾーンの名前がつけられたかは謎だそうです・・・。

もちろん、駅を降りると「メンデルスゾーン公園」があります。笑

ということで、ベルリンへ寄る機会のある音楽家の方はメンデルスゾーンのお墓参りに一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか?約1時間ぐらいで見て回れますよ!!

それではまた次回!Bis Bald~!!

メンデルスゾーン&チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲


  • 最寄り駅:U-Bhf Mehringdamm, Berlin, Deutschland
  • 住所:Kirchhof Jerusalem und Neue Kirche I, II und III, 10961 Berlin, ドイツ

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