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モーツァルトってどんな人?性格は?生涯とエピソードに迫る!

モーツァルトってどんな人?性格は?生涯とエピソードに迫る!

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトがどんな人で、どのような生涯を送ったのかご存じですか?

 

フランス王妃マリー・アントワネットに求婚したことがある。

実際に奥さんになったコンスタンツェは悪妻だった。

など、様々なエピソードや噂が残されているので、これらを聞いたことがある方も多いでしょう。

 

歴史に名を残すような天才音楽家は性格も破天荒であることが多く、初めてW.A.モーツァルトの伝記を読んだとき、彼の性格や生涯が強く心に残ったものです。そのくらい彼の性格は印象的で、その生涯も波瀾万丈でした。並外れた才能を与えられた人間は平坦な道を歩けないものなのかもしれません。

 

では、そんなW.A.モーツァルトはどんな人だったのか解説していきましょう。

 

モーツァルトの性格 どんな人だったのか

モーツァルトにどのようなイメージを持っていますか?私は彼の伝記を読む前、肖像画を見ただけの時点では「誇り高い音楽家」というイメージを持っていました。

 

しかし、実は幼稚でとても変わった性格をしていたと言われています。ギャンブルが好きで浪費家だったことも有名ですね。

 

では、どうしてそのように言われるようになったのでしょうか。いくつかのエピソードについて解説します。

 

幼稚な性格だった上に下ネタが好きだった

 

後世に名を遺すような音楽家だったのに、とても幼稚な性格だったそうです。

 

人が集まる場で突然猫の物真似を始めたり、人を驚かせるような行動をすることも多かったのだとか。しかし、とても陽気な性格だったと伝わっているので、幼稚なだけではなく周囲を楽しませることが好きだったのかもしれません。

 

そして大の下ネタ好き。度々、ご婦人のスカートを捲ったりしていたと伝わっているのですから驚きですね。

手紙を書くことも好きだったのですが、その内容に下ネタが含まれることも多かったそうです。特に「おしり」などの言葉が好きだったそうで、「僕のおしりを舐めろ」などという言葉も残しているほど。

 

決して堅苦しい性格ではなく、ジョークが好きで愉快な性格だったと考えると親近感が湧いてきませんか?

 

人の心を掴む天才でもあった? マリー・アントワネットとのエピソード

下ネタやジョークが大好き。ご婦人のスカートを捲っても許されていた(時には怒られていたのかもしれませんが)

そんな彼は音楽の天才であるのと同時に、人の心を掴む天才だったのかもしれません。ずば抜けた才能がある人間の生涯は孤独であることも多いのですが、モーツァルトが孤独だったという話は聞いたことがありません。

そして彼が人に好かれる才能もあったことを裏付けるエピソードとして、有名なマリー・アントワネットとの逸話が残されています。

 

幼少の頃から音楽の才能を発揮したモーツァルトは、6歳の時点で父と共に宮殿に招かれました。当時の女帝マリア・テレジアの前で演奏するためです。その場には、後のフランス王妃マリー・アントワネットも同席していました。

 

モーツァルトが転んでしまったとき、マリー・アントワネットが彼の手を取って助け起こしてくれたそうです。

そのときマリーは7歳でしたが、幼少の頃から目がぱっちりしていてとても可愛かったと言われていますので、モーツァルトも一目惚れしてしまったのかもしれません。なんと、お姫様を相手にその場で求婚してしまうのです。

もちろん6歳と7歳なので、お互いに本気ということはなかったでしょう。子ども同士の微笑ましいエピソードではありますが、モーツァルトが小さな頃から人の心を捉えることが上手であったことが分かります。

 

そしてマリーの心だけではなく、女帝マリア・テレジアにも可愛がられたそうです。彼女の膝の上に乗って、頬にキスをしたと言われています。

相手が王族でも天真爛漫に振る舞う。モーツァルトらしい行動といえるでしょう。

 

浪費家で借金苦に悩まされていた

モーツァルトは幼少の頃から「神童」と呼ばれ、大人になる頃には大人気の音楽家になりました。オペラの作曲なども多数手がけ、波に乗るような勢いだったはずです。しかし常に金欠状態だったと言われています。

天才で大人気だったモーツァルトがお金問題に悩まされていたのはなぜか?

その答えとして、パトロンが見つからなかった、奥さんのコンスタンツェが浪費家だった、彼自身も浪費家だったなどの有力な説が残されています。

 

しかし、現代でいうフリーランスのような働き方をしていて、大人気だったのでかなり多額の収入を得ていたと言われています。その額は現代の年収に換算すると1000万円以上で、3000万円くらい稼いでいたという説まであります。

 

それなのにいくら曲を書いてもお金が貯まりませんでした。それどころか多額の借金を背負い、生活は困窮状態。

それはギャンブルが大好きだったことが原因と言われています。

同時に見栄っ張りな性格で、貴族たちと張り合うように次々と高価な買い物をしていたため、あっという間にお金が出ていってしまったのです。妻コンスタンツェも浪費家で、この夫婦はお金を使いまくっていたと言われているので、借金苦に陥っても仕方なかったのかもしれません。

 

幼稚でお金の管理が苦手な一面が彼の人生に暗い影を落としてしまいました。

 

ベートーベンとの関係

「ベートーベンってどんな人?」の記事にも書いた通り、ベートーベンはとても神経質で晩年は孤独な生活を送り、モーツァルトとは別の意味で波瀾万丈な人生を送った作曲家でした。

関連リンク:ベートーベンってどんな人?性格は?生涯とエピソードに迫る!

 

そんなベートーベンがモーツァルトに会っていた可能性があるのです。

真偽は不明であるものの、ベートーベンはモーツァルトに憧れ、彼の元を訪ねたことがあるのだとか。そのときベートーベンの演奏を聞いたモーツァルトは、仲間に「彼はいつか偉大な音楽家になるだろう」と紹介したそうです。

しかし晩年の借金苦に陥ったモーツァルトの生活を知ったベートーベンは、彼のような人生だけは送りたくないと思っていたとも言われています。

 

どのような関係であれ、歴史に名を残すような偉大な作曲家の二人が同じ時代に生きて会っていたと考えると、とても興味深いですね。

 

努力家で純粋な性格だった

幼稚、下ネタ好き、浪費家などの性格はネガティブなイメージを与えるかもしれませんが、実は大変な努力家でした。

モーツァルトが神童と呼ばれていたことは有名です。先述した通り、たった6歳でマリア・テレジアやマリーアントワネットの前で演奏したと考えると、とんでもない才能の持ち主であったことが窺えますよね。

神がモーツァルトに音楽の才能を与えたことは事実ですが、父からはスパルタ教育を受けていました。レッスンは厳しく、ときには目隠しをして演奏させられることもあったのだとか。

大人になってからもモーツァルトが努力を重ねていたことは有名です。「自分は天才ではなく人よりも努力しているだけ」という、まるで野球選手イチローのような言葉を残しているそうです。

 

同時に心優しく、純粋な人だったと思います。

ムクドリを飼っていて、とても愛情を注いでいました。モーツァルトが手紙を書くことが好きだったことは先述した通りですが、なんとムクドリにも手紙を書いていたそうです。

とてもあたたかな心を持っていたと考えて間違いないでしょう。幼稚な性格も純粋な心の裏返しなのかもしれません。

 

W.A.モーツァルトの生涯

モーツァルトの性格やそれを裏付けるエピソードをご紹介しました。いかがでしたか?彼の印象が変わったかもしませんね。

さて、愛すべき性格をしていたモーツァルトですが、一体どのような人生を送ったのでしょうか?彼の生涯についても簡単に解説していきましょう。

 

3歳で音楽の才能に目覚め、5歳で初めて作曲した

モーツァルトの生年月日は1756127日。オーストリアのザルツブルクで、父レオポルト・モーツァルトの元に生まれました。7番目の末っ子でした。

父も宮廷音楽家で、かなり早いうちからモーツァルトの才能に気付きました。モーツァルトは3歳でチェンバロが弾けて、5歳になる頃には初めての作曲をしたそうです。

6歳の頃には各地を巡って人前で演奏を始めます。ウィーン、パリ、ロンドン、イタリアなど、様々な土地を訪問して、多くの人に音楽を届けました。彼の才能はローマ教皇にも認められ、14歳のときに黄金拍車勲章を授与します。

まだ子どもだった彼の演奏はとても美しく、聴いた人は揃って感動したと言われています。まさに「神童」の名を欲しいままにした幼少期でした。

 

20代で貧困に陥る

21歳のときに、歌手として活動していたアロイジア・ヴェーバーや、従姉妹のベーズレと恋人同士になっていたことは有名な話です。しかしそれらは破局という結果で終わってしまいます。モーツァルトの父がアロイジアとの結婚に反対して、引き裂かれたというエピソードも残っています。

「モーツァルトとアロイジアを引き離そう」と考えた父にパリに移るように指示されてそれに従うのですが、この頃からお金の面で悩んでいました。最初は収入自体が少なかったそうです。

 

25歳のときには自分の雇い主でザルツブルクの大司教であるヒエロニムス・コロレドとトラブルを起こしてしまいます。純粋で真っ直ぐな性格であるモーツァルトなので、才能があっても雇い主との関係を上手く築くことができなかったのでしょう。お金の管理だけではなく、世渡りも苦手だったのです。

 

しかし、ウィーンに戻って、現代のフリーランスのような働き方をしたところ、収入が大きく上がりました。

それは良かったものの、先述した通り浪費家だったので、やはり生活は安定しませんでした。

 

妻コンスタンツェとの結婚 名作を次々と世に送り出す

26歳のときにコンスタンツェと結婚します。元恋人であるアロイジア・ヴェーバーの妹でした。

コンスタンツェは「世界三大悪妻」とも言われているのですが、夫婦仲は良かったそうです。幼稚でありながらも根はあたたかな性格をしているモーツァルトなので、悪妻と名高いコンスタンツェの心も掴んだのでしょうか。

 

コンスタンツェはモーツァルトの作曲を手伝うこともあり、彼は様々な名曲を作り出しました。代表的な作品をお教えしましょう。

 

・オペラ『フィガロの結婚』

 

・オペラ『ドン・ジョヴァンニ』

 

・オペラ『魔笛』

 

・アイネ・クライネ・ナハトムジーク

 

・レクイエム

 

・トルコ行進曲

 

他にも多くの素晴らしい曲を生み出しました。彼の才能が大きく花開いた時期とも言えるでしょう。

 

35歳という若さでこの世を去る

多くの名曲を作り、モーツァルトが作曲したオペラもかなり高く評価されていました。

しかし、浪費家の夫婦の生活が楽になることはありませんでした。

 

これほど偉大な天才でありながら、最後は貧困や病に苦しみ、寂しい最期を迎えることになるのです。35歳という若さでこの世を去りました。

 

お葬式の費用すら賄えず、葬儀はひっそりと行われました。彼が入ることになるのは共同墓地で、埋葬の仕方も手をかけてもらえたとはいえず、とてもお粗末な方法だったのです。

こうして波瀾万丈な人生に幕を閉じることになるのですが、彼の最期を思うと何ともいえない複雑な気持ちにならざるを得ません。

 

W.A.モーツァルトは素晴らしい作曲家だった

様々なエピソードを交えながらモーツァルトについて解説しましたが、彼が神に愛された作曲家であることは間違いありません。

オペラに興味がある方には、彼が作曲したオペラをおすすめします。音楽に惹き込まれるので数時間があっという間に過ぎてしまいますよ。彼の頭に広がっていた世界を垣間見えるような面白い作品が多いのです。

彼の愛すべき性格を思い出しながら、モーツァルトの音楽を楽しんで下さい。

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