誰でも簡単に文章を書くときの方法
【修士課程1年】

【修士課程2年】
この年は歌曲の年でした。(なんかシューマンみたい)もちろん、オペラアリアやオラトリオも勉強していましたが、毎週必ず新しい曲を持って行くことで沢山の歌曲を勉強しました。基本的にはドイツ歌曲が中心で、R.Schumann「詩人の恋」やG.Mahler「さすらう若人の歌」、H.Wolf「イタリア歌曲集」、F.Schubert「ゲーテの詩による歌曲」なんかを勉強しました。しかしとにかく大変だったのは、修士論文を書かなければいけなかったことでした。東京音大では論文を書く必要がなかった(演奏が論文の代わりになる)ので、経験のない私は本当に論文で苦労しました。それに私は論文に対して反抗的な態度を持っていました。(第3次反抗期到来!)それは、「音楽のことを文章で書いたからって何になるんだ!音楽は実践(演奏)されてなんぼだろ!!」という気持ちです。鹿児島国際大学は国際文化学部に音楽科が併設されていたため、修了するとき「音楽」ではなくて「国際文化」のマスターを取ることになります。ですので、東京音大のように修士演奏にプログラムノートをつける。という形ではなくて、(ただし修士演奏会はありました。40分のプログラムでシューベルトの歌曲を歌いました。)学術的な音楽の修士論文を書く必要があったということです。(私は「フランツ・シューベルトの《孤独に身を委ねる者は》における詩と音楽の関係」という論題で執筆しました。もし興味がある方がいればお送りするのでご連絡ください!)そうしてぶつぶつ文句を言いつつ苦労しながらも、私は修士論文を書き上げました。今でこそ言えることですが、私はこの論文の執筆を通してあることを学びます。それは、もし時間が許すなら演奏家は自分が演奏する曲と関連する音楽の学術書を読むべき。(もちろん技術的な向上が先だとは思いますが。)私の指導教官はK先生だったのですが、音楽についてはI先生が指導してくださいました。そしてI先生の書いた論文や、資料として集めた学術書を読んでいく中で私はこう思いました。おおおおおおお!!(感嘆詞だけって・・・
)そこには作曲家が意図したことや、詩が持っている意味なんかが様々な角度から分析され、事細かに記されているのです。例えば「この和音が使われているときはこういう意味で~」とか、「この詩の意味はこういう意味も含んでいて~」といった様なことです。確かにそれを知ってるかどうかで演奏の仕方も変わってくるだろうなと思いました。とは言っても、「知識があるからといいって良い歌が歌えるとは全く思えません」が、「知らないより知っている方がBetter」だと思います。(何でもそうですが、頭で理解できたからといって実際出来るかどうかは別です。)折角なので、2年間(1年目は何もしてなかったので実質1年)論文を書いて学んだ文章の書き方の極意をご紹介。
文章を書く極意
それは「シンプルに書く」ということです。これにつきます。このブログも蛇足が多かったりしてまだ全然人に語れるレベルではないですが、文章はできるだけシンプルであるほど、よく伝わり、分かりやすいです。(歌もそうかも・・・?)文章を見返してみたときは、削れる部分は削るということが大事なのだと思います。(Simple is best!!)ということで何とか論文を書いた私は、ブログ(文章)を書く力を身につけましたし、最近はちょっとしたライティングの仕事なんかもしてみました。(ただ私は適当に書く方が向いているので、きっちりした仕事は無理のようでした。)そういうことで無事修了を迎えるわけですが、またまた悩ましい時期に突入します。さぁ、これからどうしよう。次回はまた再びの佐賀編です!それではまた!Bis Bald~!!