ハンセン病家族訴訟が賠償へ【療養所へ慰問演奏したときの話】

ハンセン病家族訴訟が賠償へ【療養所へ慰問演奏したときの話】

どうも、とらよし(@moritora810)です。今日Twitterを眺めていたらハンセン病家族訴訟で国が控訴しないことを決定したという記事が流れてきました。詳しい内容は以下のような感じです。

ハンセン病家族訴訟 首相が控訴せず 国の責任認めた判決確定 賠償へ

安倍晋三首相は9日午前、ハンセン病元患者家族への差別に対する国の責任を認めた熊本地裁判決を受け入れ、控訴を断念する方針を表明した。首相官邸で根本匠厚生労働相、山下貴司法相らと協議後、記者団に「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上長引かせるわけにはいかない」と述べた。隔離政策が家族への差別も助長したと認定して初めて家族への賠償を命じた熊本地裁判決が確定する。

支援者の前で「勝訴」の紙を掲げる原告の弁護士=熊本市の熊本地裁前で2019年6月28日午後2時2分、田鍋公也撮影

 熊本地裁判決は、世界保健機関(WHO)が隔離を否定した1960年以降も隔離政策を廃止しなかった厚労相らの義務違反などを認定。「隔離政策以前とは異質な家族への排除意識を生んだ」として、家族への偏見差別を除去する国の責任を認め、541人に1人当たり143万~33万円を支払うよう国に命じた。【杉直樹】

デジタル毎日(毎日新聞)から」

私はブログをしていますが、本業は音楽家です。一応音大も出てドイツ留学もしています。いわゆるクラシック音楽の部類で声楽を主にしています。

そんな私は、大学院時代、鹿児島でハンセン病患者さんのいる施設に慰問演奏をしにいったことがあります。

今日はハンセン病について正しくアプローチして、そのときの体験談についてご紹介できればと思っています。

ハンセン病とは?

ハンセン病とはなんでしょうか?ハンセン病は古来からある病気で、古文書にもその症状の記述を見て取ることができます。

1873年にノルウェーの医師であるハンセンさんが発見したのためこの名前がつけられました。原因は「らい菌」による慢性的な感染症です。

この病気の症状は簡単に目に見ることができます。末梢神経のまひや、皮膚のただれなどがもっとも代表的なものです。しかし、この病気で重要なポイントは感染力が弱く、発病の可能性も低いことです。また、薬を組み合わせた多剤併用療法で治ります。

しかし日本政府はこの病気に対して間違った対応をしてしまいます。しかもそれはごく最近まで続いていました。

らい予防法(旧法)

日本では長年ハンセン病の患者を国策(法律)で隔離してきました。1907年の「らい予防二関スル件」というのが始まりで、1931年に「らい予防法(旧法)」を制定し、患者を強制収容したのです。しかもそれは、戦後の53年には新法にそのまま引き継がれました。

「療養所」へハンセン病患者を隔離するというこの法律。実際の現場で何が行われていたのかといえば、たとえばハンセン病患者の人が結構しようとしたときは「断種」「堕胎」をさせられていました。これは「旧優勢保護法」という法律(障がい者に不妊手術を行う法律、ハンセン病患者も含まれた)があったためです。

ハンセン病については、世界保健機関であるWHOは隔離を否定する見解を1960年には既に発表していましたが、日本政府が「らい予防法」を廃止したのは1996年です。これと同時に「旧優勢保護法」を廃止されます。これは私は6歳の頃ですから、本当に最近の話です。

星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)

私が星塚敬愛園を訪れたのは24歳のときでした。そのころ鹿児島にある大学院で歌を学んでいた私は、お世話になっていたキリスト聖公会(キリスト国教会)の牧師さんから慰問演奏のお話を頂き現地に赴くことになりました。

恥ずかしながら、そのときまで私は「ハンセン病」という言葉に全く馴染みがありませんでしたし、どういう病気かも全くしりませんでした。そのため、その話が決まってからネットで情報を集めてある程度の知識を入れてから慰問演奏の日を迎えるのでした。

ハンセン病患者の人たちが私たちに伝えてくれたこと

私はそのとき「浜辺の歌」「椰子の実」を歌いました。鹿児島は海が綺麗ですから、海の曲が良いかなと思ったのです。

演奏はなにかいつもと違う特別な空気感がありました。そしてとても熱心に聴いて下さいました。そしてその後、ハンセン病患者さんたちとお茶をしながら話す時間がありました。

ある90歳を過ぎたおばあさんは私にこう言いました。

『椰子の実の歌詞に「いつの日にか国(故郷のこと)に帰らむ」という詩があるが、私たちは帰りたくても帰れなかったと。そして実際に彼女たちが受けた仕打ちを目の前でお話ししてくれました。

『椰子の実』/島崎藤村

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

お話の中でもっとも衝撃的だったのは『私は20歳で不妊手術をさせられた』というお話でした。

そんなことが現実として目の前の人の身に行っていたのです。そして多くの患者さんは皆口々に「悔しい」と言いました。結婚もしたかったし子どもも欲しかった。とにかく「悔しい」と。その言葉が私の中で一番印象に残っています。

最後に

療養所にいる人たちは年老いた人たちが多いです。というのも、「らい予防法」がなくなったのは最近のことなので、幼いころに親元から引き離された彼女たちにはもう帰る場所がないからです。

このハンセン病における日本政府の行いはどれだけ賠償金を払ったところで償いきれるものではありません。子どもが欲しい人に不妊手術を行ったことはどう考えても非人道的な許されざる行いです。

これは誰かなんと言おうと私たち日本人の過ちです。もちろん、「知らなかった」ということもあります。「生まれてきたときからそれがあった」人たちの方が多いでしょう。しかし、そうやって「自分には関係がない」「自分には責任がない」と考えることを辞めてしまえば、また同じ過ちが繰り返されます。

もしあなたが日本という国が好きで、この国を良くしたいと思っているのあれば、自分の国の良いところばかりではなく、間違ってきたことについても正しく理解するべきだと思います。

たとえばドイツでは第二次世界大戦で自国が犯した過ち(ナチズム)について、中学生の頃に1週間かけて徹底的に学びます。そういった姿勢があるからこそ、隣国との関係性や発展やドイツの経済や国としての飛躍・成長があるのです。

今回のハンセン病の問題は国内ですが、これは国外での話も同じです。韓国や中国、あるいは東南アジアで日本が起こした過ちについてしっかりと事実を学ばなければ、日本と言う国の本当の意味での発展はもうかけらも望めないでしょう。

ハンセン病については、全国各地にある療養所へ訪問することができます。この機会に是非一度足を運んでみてください。親子で療養所に行くことを推奨している施設も多いです。

次のより良い日本を作るのは私たちです。より良い未来と子どものために、ともに学び歩んで行きましょう!

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